青森港寸景2008-04-14 Mon 08:56
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太宰治「津軽」の碑2008-04-13 Sun 23:16
![]() 津軽半島の突端、その先、さらに行き止まりになる道の突き当たりに、青森出身の作家「太宰治」の小説「津軽」の碑がある。 太宰治は、1944年5月から執筆依頼のため、3週間に渡って津軽半島を旅行した。 その時、この竜飛崎のことをこう記している。 「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向つて歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。」 (太宰治「津軽」より) この言葉が、この碑に刻まれている。 ![]() かつて、文学少年だった(?)俺は、高校時代、やはり太宰の「後輩」ということもあり、大宰に傾倒していった。 この、小説「津軽」の道を、日曜ごとに汽車に乗り、数区間ずつ実際に足で歩いたことがある。 「ふるさと『津軽』を太宰の目線で感じたい」などと、青臭いことを思いながら・・(^_^;) ![]() 津軽半島の宿泊は、このあたりが便利! この辺もいいかも。。 ![]() ←押してくれたらとっても喜びます! |
尻屋崎灯台2008-04-13 Sun 22:51
青森県下北半島の尻屋崎。岬の北側は津軽海峡、東側は太平洋に位置し、潮の変わり目になっている。 ここには俺の好きな灯台、「尻屋崎灯台」がある。 ![]() ![]() 高さ(地上〜塔頂)は32.82m、標高(平均海面〜灯火)は45.70m。 1876年(明治9年)10月20日、東北最初の灯台として初点灯された。 ここの灯台は国内最大級の「53万カンデラ」の光度がある。 どの程度明るいのかはよくわからないが・・^_^; ![]() この灯台は、「まぼろしの灯台」ともいわれ、かつて珍現象が起きている。 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)に米軍に射撃を受け、同時に村尾標識技手が殉職した。 翌1946年(昭和21年)、攻撃を受け破壊しつくされたはずの灯台が光を放ち、その目撃が相次いだ。 付近を航行中の漁船が遭難を免れたということもあった。 人々は米軍の攻撃時に殉職した村尾標識技手の霊なのではないかと噂した。 同年8月に霧信号舎屋上に仮の灯りを点灯すると同時にこの現象は消えた。 なお、灯台には銃撃の跡が今でも残る。(Wikipediaより) ここの岬は、夜間は立ち入りできない。 下北の宿泊は、このあたりが便利! ←押してくれたらとっても喜びます! |
寒立馬(かんだちめ)2008-04-13 Sun 22:16
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龍飛埼灯台2008-04-13 Sun 22:00
青森県の津軽半島の先端、竜飛岬にある「龍飛埼灯台」。「崎」ではなく、「埼玉」の「埼」を使うのが正しいらしい。 高さは13.72mと、ずんぐりとしてけっして高くはないが、海抜100mの岬の突端に立つため、見晴らしもいい。 天気がよければ北海道の白神岬とは津軽海峡を挟んで19.5キロの距離。 すぐ近くに見える。 ![]() 竜飛崎のある竜飛集落は、三厩駅からのバスの終点で、太宰治が紀行「津軽」で、鶏小屋に突っ込んだと思ったら竜飛集落だったと表現した描写で知られる漁村。 「ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐるのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向つて歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。」(太宰治 津軽より) 竜飛を訪れるには、「冬」がいい! 1月中は、大間の本マグロと同じ場所で捕れる「海峡マグロ(本マグロ)」がうまい! ←押してくれたらとっても喜びます! |



























